菅谷梨沙子という人

 

私はBerryz工房をリアルタイムで応援していた人ではない。

ハロー!プロジェクトに興味を持ち、ベリの曲を聴き、梨沙子の声を初めて聞いて、なんとなくいいな、と感じて、また時間が経って今改めて、梨沙子の歌を聞いた。

youtubeのコメントで、「梨沙子の歌には”泣き”がある」と。そのコメントに言葉にしがたい共感を覚えた。梨沙子の歌声と表情は、力強いのに切なく儚い。声が泣いている。自然と目の奥に涙が滲んでくるような、技術面とは違う、その人が生まれながらに持つ天性の不思議な魅力がある。それは、菅谷梨沙子という人が持つ”豊かな感性”だと私は思っている。

頭で考えなくても、歌詞の主人公に自分を重ねて共感できる、入り込める力、人が見過ごしてしまうようなものに気づいて悲しみや嬉しさ、時には怒りを感じられる力、そういうものを持っているからこそ繊細で、あんなに人のこころを動かす歌を歌えるのだ。

梨沙子が妊娠、結婚をするという発表をした時、正直真っ先に私の心に湧いてきたのは、梨沙子が幸せそうで嬉しい、お祝いしたい、という気持ちではなく、もう歌う梨沙子は見られないのかもしれないという悲しみだった。

私は女で、梨沙子に恋をしていたわけではないので、好きに恋愛はしてもらって構わなかった。ただ、私は梨沙子に「歌」から離れて欲しくなかった。梨沙子の歌がとにかく好きだった。こう思ってしまったということは、もしかして私が本当に好きだったのは梨沙子本人ではなく梨沙子が歌う歌、なのかもしれない。

胸を打ち、涙させるような唯一無二の歌がもう一度、生で聴きたかった。別に結婚してからだって歌は歌えるだろうし、これから子育てが落ち着けば、また音楽活動を再開してくれるかもしれない。でも、その時に梨沙子の歌が、私が好きだったものから変化してしまっているのではないかと思うと不安で仕方がなかったのである。

梨沙子の歌は、私にとって、続きを買えない思い出の漫画に似ている。手の届かないもの、終わって欲しくないし大好きだけど直接目を向けられないもの。こんなにも真っ直ぐに、小手先の技術だけではなく、心からの人に気持ちを届けられる1番の歌手は私の中で菅谷梨沙子で、いつかその歌がまた聞ける日がくればと願うばかりだ。