クロッシング

クロッシングという映画を見た。

北朝鮮で元サッカー選手の父親が、病気の妻のため、息子と妻を残して薬と食べ物を探しに脱北することから物語は始まる。

1時間52分の上映時間の中で、何度もぼろぼろと涙を流してしまいそうになり、画面から目を逸らしてしまった。あまりにも救いがない。しかし、現実にこれは今起きているかもしれないこと、これから先にまた起きるかもしれないことだ。

 

この映画は2002年、25名もの脱北者がスペイン大使館に駆け込み、韓国への大量亡命に成功した事件をもとにしている。

脱北者100人以上に丹念に取材をし、実際に脱北を経験した人もスタッフで参加しながら、4年もの歳月をかけて作られたそうだ。この映画のショッキングな描写は、決して過剰ではない。

 

わたしがこの映画を見て一番強く思ったのは、優しいだけで何も知らないことは人も自分も傷つけることになる、ということだった。

父親のヨンスは心優しく家族を愛する善良な人だが、現実との距離のとり方が甘い。もちろん、その現実は彼が望んだものでもなく、たまたま不幸な境遇に置かれただけだ。それでも、彼があともう少ししっかりと現実と向き合い、人の言うことを疑いながら自分の頭を働かせることができれば、また違う未来が待っていたのではないだろうか。

この父親の一面を、後半息子のジュニにも見たような気がわたしはした。彼らは非常に善良だが、善良だからこそ人を救えないことを思い知ったような気持ちになって苦しくなった。

 

なにかを守るためには犠牲を伴わなければならない時もある。嘘をつき、相手を欺き傷つけなくてはならないときもある。自分が真っ直ぐであることと救うこと・守ることは必ずしもイコールにならないのだ。

 

わたしは夢見がちな人間だ。夢見がちでいいとも思っていた。しかしそれはわたしが今恵まれた環境にあるからで、夢だけを見て現実を疎かにすると、自分の手の中に当たり前にあると思うものをするするとすべて取りこぼす危険がある。しっかりと地に足をつけ、見たくない真実や理不尽に目を向けることで守れる何かもあるのだろう。

そういう意図でとられた映画ではないのかもしれない。ないのかもしれないけど、でもわたしは一番そういう風に感じた。